Design Friedrichstrasse 1919
フリードリヒ街のオフィスビル
Berlin,Germany
Ludwig Mies van der Rohe (1886-1969)
JR京都駅ビルなどの設計で知られる建築家の原広司は「建築家にとって最も重要なのは、決定的なスケッチを一枚残すこと」だと述べている。1919年のフリードリヒ街設計競技において、33歳のミースが示したこのプロジェクト案は、まさにその決定的な一枚であった。
ベルリンの中心部、フリードリヒ駅に隣接する三角形の敷地に、高層事務所ビルを計画するという課題に対して、ミースはガラス張の鋭角な結晶のようなプランを提示した。
現実問題として、当時、このようなカーテン・ウォールの技術はまだ確立されておらず、結果的にミース案が実現することはなかった。しかし、このプロジェクトには、均質な空間を積層させることで成立する、近代オフィス・ビルの本質が見事に予見されていた。
すなわち、これが20世紀後半の世界の都市を埋め尽くしたモダン・オフィスの最初の一歩だったという点で、記念碑的な一枚となった。
1922年に、この計画の第二段ともいうべき「ガラスのスカイスクレーパー案」を発表したミースは、やがてアメリカに渡り、シーグラムビル、ダーク連邦ビル、IBMビルなどにおいてその構想を実現化していく。